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わが娘に会えたことに感謝!

お母さん、ありがとう!

すくすく育っている娘私には現在16歳の娘がいます。
生まれたときの体重は,ちょっとひかえめの2392g。
「小さくてめんこいねー。」と言われながら,看護師さんの手の中で,とても気持ちよさそうに産湯につかっていたのを思い出します。
 その娘も,今では私の体重となんら変わらない成長ぶり。齢80を越えた寝たきりの母が,ベッドの上で日々小さくなっていく中,元気にすくすくと育っていく娘がとても輝いて見える毎日です。
つい先日のことでした。寮から帰省した娘に「生まれたときのことを聞きたい。」と言われ,久しぶりに妊娠してからの出来事を話しました。初めは笑いながら話を聞いていた娘でしたが,終わったときには無言。これまでも,生まれた当時の話なら何度かしていたのですが,今回初めて伝えた内容もあり,それを聞いて娘はなにやら考え込んでしまったのでした。

出産は女性の特権「妊娠や出産の経験」は,女性にしか手にいれることのできない素晴らしいものですが,その当事者にとっては「本当に大変なことの連続」といえます。
今回,出産に関する出来事を私自身が振り返る中で気付いたことがあります。
「母」と呼ばれ,「母になる」ためには,本当に数多くの試練を乗り越えていくものだということです。つたない経験ばかりではありますが,何かのご参考になれば幸いです。

*妊娠中の出来事*

私が妊娠に気付いたのは,規則正しかった生理が来なくなって,2週間くらいたったときのことでした。市販のマーカーで反応が出たため産婦人科を受診し確認したのです。
この広大な宇宙の中に生を受けた我が子の「第一発見者」となれたことを,心から感謝したのを今でも覚えています。夫や4人の親,友人たちもとても喜んでくれました。
その後,つわりが続くものの,私はなんとか妊娠と仕事を両立させていたのですが,妊娠2ヶ月目くらいのときです。こんな事が本当に起きるものなのか,今でも信じられないような事故が起きてしまったのでした。

突然出血朝方のことでした。
隣で寝ていた夫の「かかと」が降ってきたのです!
高い所から,赤ちゃんのいる私のお腹めがけて一直線に。もう,避けようもなく当たってしまいました。その時は,あまりの突然の出来事に驚いたものの,何の痛みも特になかったので,大丈夫だろうと自己判断して寝てしまいました。
ですが,その誤った判断がその後とんでもないことに発展したのでした。
「かかと落とし」から2日目くらいのことです。わずかな量でしたが出血していることに気付いた私は,職場から病院へ搬送され,そのまま緊急入院となってしまったのです。
流産の一歩手前。切迫流産でした。

悲しく切なく,心底申し訳ないと私は後悔しました。大人の不注意から,全身全霊で守らねばならない小さな命に対して,とり返しのつかない失敗をしてしまったのです。誰もいない病室で,ひとり私は泣きました。子宮には強い痛みが続き,「緊急事態」は決して終息には向かっていないと感じていた私は,「最悪の覚悟」も余儀なくされていたのでした。
「最悪の覚悟」とは「流産」です。
私の子宮は,“ゴムまり”のように一日に何度もギュッと縮んでいました。尿意も催す痛みなのですが,中の赤ちゃんも押し潰されそうな苦痛を毎回感じていたと思います。子宮の筋収縮とは,「子宮自らが中の胎児を外に出そうと練習している状態」だと聞いたこともあり,私のからだそのものが,我が子の命を“切り捨てよう”と準備しているのかと思うと,私はやるせない思いで一杯になりました。
私は,ベッドの上で何度も赤ちゃんに「ごめんね。」と謝り,「絶対に流れてはだめだよ。」と語り続けていました。神頼みもたくさんしました。ですが,入院から1週間が過ぎたときのことです。
お腹でがんばってる赤ちゃん2度目の出血を起こしてしまったのです。
思いもよらないほどの出血量で,「もうだめかもしれない。」と,夫婦であきらめかけました。ですが,担当医の先生は,こうおっしゃったのです。
「お腹の赤ちゃん,すごく頑張っていますよ。今回出血を起こした場所のすぐ横で,お母さんの子宮にしがみついてますからね!」
エコー画像を見た瞬間,私は涙があふれてしまいました。
本当に,クリオネのような我が子が,子宮に懸命にしがみついていたのです。あと1cm出血がずれていれば,命は消えていました。まだ小さな胎児にとって,子宮内の出血は津波か大洪水に襲われるようなものだったのに,それに耐え,力強く生き残ってくれたのでした。
本当に感激したと同時に,ありとあらゆるものに感謝せずにはいられませんでした。
“生きるぞ!”と頑張っているこの子を産めるのは自分だけ。なんとしても無事に出産し,幸せを掴ませてあげたいと強く思いました。夫も全力で協力してくれると約束してくれました。
その後,子宮の収縮は頻繁でしたが,流産を起すこともなく,私は無事に退院し仕事にも復帰することができました。娘は,ボロボロの子宮の中で,外に押し流されそうになりながらも,「時が来るまで」必死に耐え抜いてくれたのでした。

時が満ちること,十月(とつき)十日(とおか)。
最初の陣痛から8時間。私は決戦場である分娩台へと上がったのですが,このとき,またしても残念な事態を経験してしまうのでした。

*出産の出来事*

私が分娩室に歩いて移動したときには,陣痛が1分以内に押し寄せており,私のからだをさすり続けた夫の手のひらからは,指紋が全部なくなっていました。
そのときの陣痛を例えるなら,“痛みの始まりは生理痛の一番ひどいときのあの痛み”で,それが一瞬でピークに達し,“太いマイナスドライバーで腰から下を突き刺される”ような激痛でした。痛すぎて息を吐けないので,声も出せず,おさまったかと思うと,またあっという間に次の陣痛に襲われるので,息も絶え絶えでした。近くの酸素のラインを,“火事場の馬鹿力”で引きぬいて壊してしまったのは私です。自然と「いきみたく」なって,ぐぐっとお腹に力を入れてしまったときに破水がおこりました。

お産そのあたりから,私の記憶は正直とぎれとぎれなのです。
1,2度強い陣痛が分娩台の上で起きたのを耐えた後,若いドクターが分娩室に入ってきたのは覚えています。
「このあとは,ぼくが出産のお手伝いをします。産むのはお母さんなので頑張ってください。」そう言われたように思います。
「赤ちゃんが出やすいように援助します。少し切るので麻酔しますよ。」と言われたのも覚えています。“プツッ”と「別の痛み」を感じたので,針が刺さったのがわかりました。その後はすぐにジョキッと音がして,おしりあたりを切られているのもわかったのですが,陣痛の方がはるかに強かったので,切られた痛みはわかりませんでした。
「さあ,ここからはお母さんと赤ちゃんの命を切り離しますよ。目をつぶらず,声を出さず,ぼくが言ったときに力をいれてくだい。」
ドクターは本当にうまく私を誘導してくださったと思います。
娘の頭が骨盤にがっちりと「はまった」ときには,これがまた「別の痛み」で,本当に頭を出せるのか一瞬不安になりました。でも,自分にこう言って聞かせたのです。
「野生動物のメスは,誰に教えてもらわなくても赤ん坊を産んでいる。だから私にもできる!」その後強く長くいきんだのは2,3回だったでしょうか。うつろなのですが,小さな娘が小さな声で「フンガア」とないたのを聞いたのです。「良かった!」と精一杯大きく言ったつもりが,私も小さな声でした。分娩室に夫と母が慌ただしく入ってきて,とても喜んでいたのを覚えています。
夫は,放心している私を見て,かなり心配の様子でしたが,私が「2人目ならすぐ産めるよ。」と言うと,思いっきり笑って「女の人はすごいね。」と言ってくれました。
ですが,そのあと1時間近く分娩室で休んでいるときに,うつろな意識の私に,ドクターがとても重大な話を伝えていたことを,私は上の空で聞き流してしまったのでした。

*産後の出来事*

私は,自分のからだの深刻な変化になど全く気付かずに,不慣れな母乳育児に奮闘していました。
産後1ヶ月が過ぎたときのことでした。
娘を連れて実家に戻り,日頃の育児の疲れを癒すために,長い時間熱いシャワーでからだを温めていたときのことです。事態は急変しました。
突然,「生理痛」のような強い痛みが私の子宮に押し寄せてきたのです。念のためトイレに行き,便座に座ってトイレットペーパーで大切なところをふいてみると,血液ではなく,何か長い「膜」のようなものが紙についているのがわかりました。
生理のときに出る血の塊かと思い,拭き取ろうとすると,ズンと子宮が下にさがるような鈍痛に襲われたのです。驚きました。長い膜は,私のからだからぶらんと垂れ下がり,子宮とつながったままだったのです。恐怖で一杯のまま,再び膜を引っ張ってみると,やはり子宮に激痛が走りました。もう,異常事態以外の何ものでもありませんでした。私は大声で家族に緊急事態を知らせました。タオルで体外に出ているものを抑え,とにかく病院へと急いだのです。
生後1ヶ月の娘は65歳の母に預けられ,私は入院となりました。
その時のドクターは夜間対応の方だったので,私の妊娠・出産の経過を全く知らない方でしたが,素早く子宮の中を調べてくださり,夫と私が愕然とする診察結果を話してくれました。
「子宮の中が腐っています。あなたは後産のときにきちんと膜が出なかったはずですよ。だから子宮の回復も遅かったでしょう?産褥熱も出ていますね。もしもこのまま子宮に膜が残っていることに気付かなければ,命は危なかったですよ。すぐに手術しましょう。」
 
打ちのめされました。なぜ担当医は私が正常に戻ったときにきちんと話してくれなかったのでしょうか。夫も説明責任を果たさなかった医者に怒り沸騰でした。地獄はこのあとでした。手術は麻酔無しで行われたのです。
ドクターの説明では,子宮内の残留物を鉗子で掻き出す場合,麻酔をかけてしまうとどこまで削ってよいか判断が難しく,鉗子で子宮を貫通してしまう危険性があるとのことでした。つまり,「脱胎」を麻酔なしで行うようなものでした。
 深夜の病院の廊下に,私の悲鳴だけが鳴り響いていました。夫や兄はとてもいたたまれなかったそうです。麻酔無しの手術は2時間以上かかりましたが成功。出産とはまた違う耐えがたい痛みを耐え,正常な子宮を取り戻したのです。
 すぐにドクターは摘出した残留物を見せてくれました。ノートパソコンを開いた位大きな面積の茶色の膜でした。

出産後,うつろな私に担当医が伝えていたのは,きっとこれだったのです。
「あなたは後産を失敗しているから,きっと後で膜が出てくるはずです。」
 夫も兄も担当医や病院を訴えると言い始めましたが,私が二人を止めました。生まれて間もない娘の誕生を,混乱なく喜びのままにしてあげたかったのです。

 それ以来,私は若干の「先端恐怖症」になってしまいました。手術で使った鉗子が子宮を刺す痛みを思い出してしまうからです。夫もわかってくれました。
出産後,10年間は子宮内膜症にも苦しみ,二人目の子どもには恵まれませんでした。
 私自身,48歳になって若かりし日を振り返ってみたときに,子どもを一人でも授かったことは,はかりしれない大きな幸せだったと思います。
 「出産は命がけ」とはよくいいますが,本当にその通りなのです。
 私は,これから出産を迎える知人には必ず伝えるようにしていることがあります。
それは,
産んだあと,膜がちゃんと出たかドクターに確認してね。家族からも確認してもらってね。乳飲み子を残してもしお母さんが死んでしまったら,こんな不幸なことはないからね。
自戒を込めたメッセージです。

お母さん、ありがとう!娘は,自分が生まれたときの話を聞いたあとでこう言ってくれました。
「子どもを産むのってすごく大変そう。私も女だから同じ思いをするのかな。でも,生まれてきてよかったと思ってるよ。母さん,ありがとう。」
そんな言葉を聞けるとは夢にも思わず驚いたのですが,私も娘にこう言いました。
「母さんもばあちゃんには大変な思いをさせて生まれてきたはずなの。だから,これからは,母さんが赤ちゃんのときにしてもらったことを,ばあちゃんにしてあげたいと思う。紙おむつをとり返るのは“お返し”だね。」

**すべての女性が出産を通して幸せになってほしいと心から願っています**

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