私は10年交際した彼と3年前に結婚をし、半年後に念願の第一子を身ごもる事が出来ました。
どこの産婦人科で産むのがいいかわからず、「金額」「個室完備」を条件に友達から色々聞き、出産する産婦人科も決め通い始めました。
そこの産婦人科は友達でも出産している子が多く、他の病院よりも比較的金額が安いという事、面会時間も多く、家族が一緒に宿泊する事も出来るというアットホームな病院で気に入りました。
しかし、人気な病院なだけに、検診で2時間待ちは当たり前でした。
時間予約をしていても待たされます。
それでも赤ちゃんがお腹にいるという喜びや、エコーで赤ちゃんを見れるという楽しみで待ち時間はそこまで苦にはなりませんでした。
比較的わたし自信、つわりもなく、腰が痛くなったりする事もなく、快適に妊婦生活を送れました。
唯一、「妊婦だもん」という気持ちで食べたい物を食べたいだけ食べていたので体重増加がすごかったですが・・・笑
病院の先生も「赤ちゃんの体重はまだ小さいんだから全部お母さんの脂肪だね~」と言われました。
そんなアットホームな病院で私は検診に通い続け、出産に向けて準備を進めていきました。
妊娠8ヵ月頃になり、「院長先生が亡くなったのではないか」という噂が流れはじめました。
そこの病院は曜日ごとに担当の先生の名前が書いてあり、院長先生は木曜日の検診を担当していました。
その頃くらいから院長先生の名前が曜日のカレンダーから消えていました。
特に私はそこまで気にならず、無事に赤ちゃんが産まれてくれればいいやとしか考えていませんでした。
でも確かに、今まで見たことのない先生が増えたな・・・とは感じていました。
妊娠9か月になり、院長先生を見ることもなく、色々な先生が近くの大学病院から臨時で来ているという事を知りました。
看護婦さんからも「院長先生は今お休み中です」という事しか教えてくれなかったので、体調でも崩されたんだとうなと思っていました。
しかし臨時の先生も来ているし、私のお産には関係のない事だなと他人事に思っていました。
臨月に入り、いつ産まれるんだろうとソワソワしながら検診に通っていました。
赤ちゃんの心臓の音を聞くたびに、早く会いたい!!という気持ちと、出産ってどれだけ痛いのかと未知な体験をする事に毎日緊張していました。
しかし私も初産の為、子宮口が固くなかなか産まれる気配がありませんでした。
たくさんスクワットをしたり、ウォーキングをしたり、雑巾がけをしたりと、たくさん動きましたが、毎回検診で「まだだね~」と言われていました。
気付けば予定日を過ぎていました・・・
予定日を過ぎ、検診に行きいつも通り赤ちゃんの心臓の音を確認し、子宮口の検診をし終わった時に看護婦さんが「お話しがあるのでこちらに来てください」と奥の部屋へ誘導されました。
私も予定日を過ぎているし、誘発剤などを使って出産するんだろうなと思っていたので、その説明だと思い部屋へ行きました。
看護婦さんからの一言で私は気分もすごく落ち、出産への恐怖が増加しました。
「実は知っているかもしれませんが、当院の院長先生がお亡くなりになりして、予定日も過ぎていて、ここでは出産が出来ないので他の病院へ移ってもらうことになりました」
との事でした。
私は何を言っているのか最初理解が出来ませんでした。
「近くの大学病院が金額も変わらず出産できるので、そこの病院でよければ紹介状出しますよ。予定日も過ぎているので紹介状を持って明日病院に行って説明を聞いてください」
と話を進めてきて私は怒りに変わりました。
院長先生が亡くなったと噂を聞いたのは2ヵ月前・・・
なのに何で予定日が過ぎてこんなギリギリで聞かされ、しまいには転院してくださいっておかしくない?
さらに・・・「予定日までに産まれていれば当院でお産が出来たんですけどね」って。
意味がわからないと思いました。
私は「今から誘発剤使ってここで出産させてください」と言いました」
しかし看護婦さんは「今分娩台で出産している方もいるので出来ません。大学病院から先生に日替わりで手伝いに来てもらっているので、先生方の予定もあり分娩できる時間も限られているんです」との事。
私は「もっと早く対応してほしかったです。こんなギリギリに転院してくださいと言われても困ります!院長先生が亡くなったのって2ヵ月前ですよね?その時でも何も聞かされていなかったのに今更言われても・・・」と文句を言いましたが、看護婦さんは「すみません」の一言。
私も言ってもしょうがないと諦めて、診察代を払い帰りに旦那に電話して話しているうちに涙が止まらなくなりました。
悔しさと、病院を変わるという不安、大学病院なので大部屋になるという不安。
不安しかなかったです。
その日の夜、旦那と話していて、もう病院を変わるという事はしょうがないし、今は赤ちゃんが無事に産まれてくれるという願いだけ考えていようと思いました。
が・・・またも問題が!!
院長が亡くなってという病院の都合で転院する事になったのに、紹介状の請求をちゃっかりしていました。
私も気付かずに支払いしていました。
旦那に言われるまで気づかなかったです。
旦那が「俺が明日電話して言ってやるよ」と言ってくれたので任せました。
次の日旦那が病院に電話をして紹介状の請求の事を聞きました。
が、「ほかの方もみなさん紹介状の金額をお支払いいただいています」との事。
旦那も話にならんと電話を切って溜息をついていました。
私はお昼に大学病院へ行き色んな先生に「大変だったね。そこの産婦人科から来ている方ほかにもたくさんいるんですけど、みんな怒っていますよ。うちも急に言われて受け入れてるから大変~~」と言っていました。
それを聞いてまたその産婦人科にイライラしました。
心の準備が出来てないまま先生に呼ばれ、「予定日過ぎて1週間になっちゃうから明日の午前中から入院出来る?誘発剤をして明日中に産まれるように頑張りましょう!!」との事。
心の準備ができていないのに明日入院!?!?!?
と驚きまいたが「はい」としか返事が出来なかったので帰ってすぐ入院の準備をし始めました。
病院が変わったので準備するものも増え、ホームセンターへ行ったり100均へ行ったりとバタバタでした。
親にも連絡をして病院が変わった事と、明日から入院する事を伝えました。
かなり驚いていて、実家からもそこの大学病院が遠かったので困っていました。
次の日になり、旦那に病院まで朝送ってもらい、入院の手続きをしたりバタバタしながら誘発剤の点滴をし始めました。
その日が土用の丑の日だったのでお昼にはうなぎ丼が出ましたが、あまり嬉しくなく美味しさもわからず食べたのを覚えています。
心の準備が出来ていないまま体だけお産に向かっているという感じでした。
午後1時半ごろから陣痛が始まりました。
思っていたより痛くなく、腰が痛いという事もなく、お腹だけの痛みで耐えれました。
旦那もその頃に病院に来てくれたのですが、何をしていいのかわからなかったのか腰をさすってきたのですが、私は腰の痛みがなかったので手を払いのけました笑
痛みも強くなり、子宮口も開いたので分娩室へ!!!
分娩室では無我夢中でふんばりました!!
「おめでとうございまーーーーーーーーーす」
分娩台に乗って20分で産まれてきてくれました!!
親も来ていて、旦那と赤ちゃんを見て感動が止まらなかったです。
色んな友達や先輩方に出産祝いに来てもらったり、大部屋という事で旦那も仕事を休んだり早上がりしてくれたりして長い時間一緒にいてくれてました。
大部屋は本当に疲れました。
物音ひとつでも気を使うこと。
話声ひとつでも気を使うこと。
カーテン1枚でプライベートがないということ。
気を使いながら5日間の病院生活耐えぬきました。
しかし、先生や看護婦さんがみんないい人だった事。
大学病院なので授乳やおむつ替え以外は赤ちゃんは別室にいる為、体を休める事が出来たということは良かったなと思いました。
そして・・・・
お祝いで来てくれた友達の一人から聞いたことなんですが、産む予定だった産婦人科、私の後くらいから紹介状の請求をしなくなったそうです。
当たり前ですよね。
わかってくれてよかったです。
私はそこの産婦人科には二度ともう行くことはないでしょう。
赤ちゃんが五体満足で無事に健康で産まれてきてくれて今でもすくすく元気に成長しているので今となれば笑い話になりますが、初めてのお産でこんな体験をすると思いませんでした。
色んな事から「お産は大変なんだな~」と実感した出来事でした・・・。