現在、34歳。
今年1月に女の子を出産しました。
結婚10年目の出産でした。
結婚したのは私が24歳の時…友達の間では結婚はわりと早い方だったので子作りを焦る事もなく、2.3年は夫婦二人でのほほんと暮らしていました。
主人はすぐに子供がほしいと言っていましたが、私は特に子供が好きという訳でもなく、まだ仕事も頑張らないといけない時期だったので特に妊活などもしていませんでした。
が、
結婚も3年目を過ぎると、周りの友達も結婚出産と続き、親戚や親からも「子供はまだ?」と言われる機会が多くなり、そろそろ子供産んでおかないといけないかなぁと少し焦りだしました。
もともと生理不順だったため、念のため産婦人科を受診。
すると多嚢ほう性卵巣症候群である事がわかったのです。これは病気というより体質のような感じらしくて自力では排卵しにくいため、当然普通の人よりは妊娠しにくいとの事でした。
担当の医者からは「まだ若いし、飲み薬の排卵誘発剤を飲みながらタイミング法で頑張りましょう」と言われさっそく実践。
でもこれがなかなか上手くいきませんでした。タイミング法では医者の指定した日に(排卵日)性交渉をしなければならないのですが、この義務的な感じの夫婦生活が私にはとてもストレスでした。
もともとお互いがフルタイムで働いていたためすれ違いが多かった事もあり、夫婦生活は少なかったので余計に負担に感じたのかもしれません。
1年ほど続けましたが妊娠できず、この頃の私は子供がほしいと思う主人とは反対に「こんな義務的な夫婦生活で無理して子供を作らなくてもいいのでは…夫婦二人でも仲良く暮らして行けばいいじゃない」と思うようになっていきました。
不妊治療のストレス、親や親戚からのプレッシャーなとが原因で夫婦の間で喧嘩する事が多くなり、次第に家にいる事も辛くなってきた私は仕事に没頭しました。
そして気がついたら30歳。
30歳になった頃から私の考えも少し変わってきて、やっぱり子供がほしい…と思うように。不思議だけどやはり女性は子供を産めるタイムリミットを感じた時に本能的にそう思うのかもしれません。
仕事ではそれなりに評価されて責任のある仕事も任せられるようになってきたけれど、いつも心はどこか満たされていなかった…
31歳になった頃から再び産婦人科に通いだし、不妊治療を開始。今回は年齢的な事もあり半年間タイミング法で妊娠に至らなかったので、他に原因はないかいろいろ検査する事になりました、
卵菅造影剤の検査を受けると生理痛のような激しい痛みが!右の卵菅が詰まっていたのです。軽い人なら造影剤を入れた時に開くらしいのですが、私の場合はまったく開かず…
病院の先生には「原因はわからない。卵菅が片方しか使えないって事はその時点で妊娠する確率は半分になっちゃうからね」と言われかなりショックでした。
その後のフーナーテストで夫の精子は正常であると言われ、ホッとしたのですが同時に私のせいで子供ができないと思うと、主人に対しては申し訳ない気持ちと、どうせ私なんか…というひねくれた気持ちといろいろな思いが混じり合ってリアルに少しうつっぽくなった事もありました。
さらに大変だったのは仕事の都合で不妊治療が進まない事。病院の指定した日に排卵誘発剤を打ちに(飲み薬があまり効かず注射になった)行かなければいけないため残業ができず、時にはシフトを変わってもらう事もありました。
職場に迷惑かけているのが苦痛で悩みに悩んで正社員からパートに。
仕事の負担は減ったけど、唯一やりがいを感じでいた仕事を半分失って虚無感がハンパなかったです。
でもパートになったおかげで病院にもきちんと通う事ができ、夫婦生活も体に無理する事なく続ける事ができました。33歳の年の始めに先生から「年齢的な事もあるしそろそろ体外受精を考えてみては?」と言われ、自分もずっと不妊治療を始めた時から覚悟していたので今年頑張ってできなければ体外受精をしようと決めていました。
なかなかすぐに体外受精に踏み切れなかった理由は、金銭的な事もあるけど、もし体外受精をして大金も時間も費やして、その結果妊娠できなかったら自分がもうそこから立ち直れないような気がしたから…
この頃はマイナスな事ばかりしか考えられなくて、かなりうつでした。
病院に通って幸せそうな妊婦さんを見るのも苦痛でしたから…
でも33歳の5月に…妊娠!!
びっくりして信じられませんでした。
心拍が確認できるまでは不安で不安で、確認できてからもちゃんと産まれてきてくれるか…流産したらどうしようとか毎日が不安でした。
その心配とはうらはらに…
娘は無事に産まれてきてくれました。
会えるまで長い道のりだったけと、途中であきらめなくてよかった、辛かった分だけ嬉しさがありました。